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目指すもの

とらわれのない人生を生きるために

 

 現代の我々は、日々、雑多で大量の情報の中で過大な欲望とそれに比例して過大な恐不安にされされています。そんな中で我々はどう生きればよいのでしょうか?日本には、日本の文化に根差した森田療法、内観療法という考え方、治療があります。そして、我々はそれを統合して森田、内観併用療法を行っています。森田、内観併用療法を本格的に実践できるのは、本邦では唯一、メンタルホスピタルかまくら山であると確信しています。
 
 令和7316日には、鎌倉市にて、禅居院住職による『心と禅~臨床宗教師の実践』、メンタルホスピタルかまくら山院長による『かまくら森田療法の実践』等の講演を主催し、法曹会等と連携し、鎌倉、あるいは日本独自の医療体制の構築を目指していたところです。
 
このほど、メンタルホスピタルかまくら山が経営陣の失態により、その場を失うことは、我々にとっても、また、日本の精神医療にとっても大きな痛手となることは間違いありません。我々は、この医療をを継続したく、『鎌倉から、日本の医療を守る会』を結成し、メンタルホスピタルかまくら山破産後の事業継続を運動してまいります。
 
 
 また、我々は、東日本大震災においては、現地に医師、看護師等を派遣し、被災者への援助をボランティアで行なってきました。そして、今回の能登半島地震や、またその後生じる地域医療の崩壊などの医療計画への参画を検討しています。今後、地方の過疎地における医療崩壊を防ぐべく、各分野との協力を模索してきました。
 
 今、我々は欲望のもとに人間社会を都合の良いようにつくりかえようとしています。その過大な欲望により、身近な人間関係、あるいは自然と人間の関係にアンバランスな歪ができてしまいます。例えば、森田療法には、森田理論という考えがあります、人間の欲望の歪が、我々を取り巻く自然環境にまでも悪循環を及ぼすというのです。森田療法とは、様々な環境ももとで『過大な欲望』や『死の恐怖』が表出、さらけだされ、その悪循環を考える療法です。我々は、我々自身の未来に向けて、その悪循環について考えていかなければならないのです。
 

 

 
内観、森田の相違点
 

  • 目指すところの違い (私の印象として)

内観療法の目的は、過去の対人関係を通じて、様々な人々から自分が守られているという安心感の獲得であると感じました。一方、森田療法は、過去に対するとらわれから未来への行動に思考を変化させる事を目差しています。
 
内観療法  様々な人に守られていることの実感
森田療法  生きるための欲望の賦活化、行動への結びつけ
 
 よって、内観療法は過去に、森田療法は未来に注視していると言えますが、それゆえに同時並行的に行う事が可能であり、お互いに補完的な役割を担えるのではないかと思います。
 
内観、森田の共通点
 

  • ストレスに対する考え。

西洋的精神療法では、ストレスに対し論理的解決を目指し、ストレスを排除しようとする傾向が強いと考えられます。
しかし、内観療法、森田療法では、論理的解決を目差そうとはせず、ストレスを受容した上で、自分が様々な人から守られている事への気づき (内観)、自然な欲望にそって行動しても良いのだということへの気づき(森田)の獲得を目差していると考えられます。
 

  • 生活、型を重視(原因追求ではない)

内観療法、森田療法、共に共通して型を大切にしていると感じます。(挨拶、お辞儀、食事作法、生活全般・・・・)、東洋的には、まずは事実を受容したうえで、型を大切にし、そこに思いを宿らせる(森田)、あるいは、思いが宿っている事に気づく(内観)、そこから行動を始めるということを目指していると思われました。これは、日本の(道)という概念(茶道、華道、剣道等)に共通している事なのかもしれません。
 

  • 感覚の体験

内観療法における集中内観や、森田療法における臥褥期では、周囲からの情報、雑念から隔離して、治療に専念します。
 

  • 集中内観   (1週間)  感謝の気持ちを認識し、守られている事の実感
  • 森田療法臥褥期(1週間)  恐怖体験の想起から生の欲望の発揮

 
それぞれ3日目頃に①では、恐怖体験、②では、雑念の消失を体験します。
大和内観研修所では3日目の壁と教えていただきましたが、①、②双方において、感覚変容が体験出来るのでしょう。私も集中内観中に3日目の雑念消失を体験しました。
すなわち、それが、自己変容といわれるものなのかもしれません。